アイドルになれないなら死にたい

東京ドブ川ストーリー

恋とUFOーVOL1.創刊号

恋とUFOとは
「カルチャー系雑誌の1ページコラム」ということを自らに課し、ライターになりきったつもりで書いていた。内容については他のエッセーと大した差はない。ただphotoshop触りたかっただけ。

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恋とUFOとは、別名バージン通信ともいい、編集長が気まぐれであることから季刊誌とする。編集長はバージン会えげつない部門を代表とするしょこたそである。そのあまりの気まぐれさから、初案から約3年もの時を経てようやくの発刊である。

 

かねてから、構想はあったものの、なかなか実現にまで至らなかったのは、彼女の中に恥じらいがあったからだと語る。しかし、彼女は今年26歳。まさしくアラサーにもなったというのに何を恥じらっているというのか、恥じらっている暇など無いのだとまくしたてるように語る。

インタビューがはじまりかけたその時、突如彼女は右手を天に突き上げ、大声で「いざ!鎌倉!」と叫んだと思いきや、会議室を出ていってしまった。

インタビュアーである私を含め場は騒然とした。発刊記念インタビューであるはずなのに、突然の退室による主役の不在。今後の続行に一抹の不安を抱きつつも今回は事前に頂戴していた資料を元に少しずつ私が説明していきたいと思う。

まずこの季刊誌の立ちとるでもある恋とUFOについて説明しなければならない。これは彼女の持論であるその名も「恋とUFO」からとったという。まさしくそのままである。その持論とは、「待ちわびれば待ちわびるほど遠ざかり、期せずときにふいに現れるもの、それが恋とUFOである」というものだ。なるほどなど少しばかり関心もしたが、いささか腑に落ちない点もあるわけだ。インタビューの冒頭(終盤ともいえるが)彼女は「恥じらっている暇などない」と言っていたはずだ。いざ!鎌倉などと口走っていたはずだ。しかしながら彼女の根本の部分ではまったくもって待ちの姿勢を崩さないわけである。

UFOなら多摩川の河川敷での目撃例が多々あるし、山の頂上やビルの屋上において呼び出す儀式を行えば、必ずとは言えないが、遭遇率は多少高まるであろう。しかし恋は待っていても訪れないのだ。恋とはそんなUFOのように神がかり的なものではなく、もっと現実的なものであると私は思う。

恋とはかけひきである。彼女が本当の運命に出会える日を私たちは決ま画に待てばいいのであろうか?まるで、たまたまUFOを目撃してしまった人々が動画サイトにアップロードするように、私たちは彼女の恋の発芽をパソコンの前でじっと待ってればいいのだろうか。

いや、彼女を変えて見せるべきであると私は強く思うのだ。インタビュアーながらにも取材対象に対して説教じみたことを書いてしまったが、読者の中にも私と同意見の人がいらっしゃるかもしれない。しかし、だ。彼女はきっと「いざ!鎌倉!」と叫んだように、今が変革の時なのかもしれない。そんな彼女を生暖かく見守るしか私たちにはできないのである。

これを読んでいる読者も彼女の今後の動向が気になるはずであろう。その動向がこの恋とUFOにおいて赤裸々に逐次語られていくのである。今は続報を待て、としか言えない。次号もお楽しみに。